2011年6月1日水曜日

書評「ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ」

「ヒトデはクモよりなぜ強い  21世紀はリーダーなき組織が勝つ」(原題:”The Starfish and The Spider”)



ヒトデ? クモ? 

この本、地味なんです。出版されたのも五年前で、いまさらのレビューなんですが、例が古いのは否めない。けれど、読んだ後、ものの見方が変わるということがあって、そういう本もそうそうないので、読んだこのタイミングで取りあげようと思いました。

冒頭は、脳の構造の話から。脳科学者たちは、特定の記憶は、脳の神経細胞のいずれかにしまわれると考えていて、ある写真を見せるとどこかが反応するといった実験を行ってきたが、どうもそれらしいデータが得られない。脳にヒエラルキーがあるという考え方を捨てたのは、MITのある科学者だった。彼の示したモデルでは、脳の構造は分散しており、記憶はさまざまな部分に散らばっていて、消し去るには神経細胞のパターンを消し去らなくてはいけない。一見無秩序なようだが、記憶は消し去ることの難しい構造によって守られることになる。

こうしてこの本は、「分散した構造を持った組織」についての解説をはじめる。インターネットがその筆頭に上げられるのは、ご想像どおり。

「人は何千年も前から、権限を分散させる手法をひそかに使ってきた。しかし、分権の概念が、それまで隠してあた場所から解き放たれ、伝統的なビジネスを打ち負かし、産業全体を変貌させ、人と人との関係を変え、世界の政治に影響を与えるようになったのは、インターネットが誕生したおかげだ」(8ページ)

インターネットは、人類をひとつの大きな脳にしようとしているのか? というわくわくするような流れだけど、この本は残念ながらそういう結論には達しない。ただ分散した構造を持った組織のバリエーションを分析していく。この本はそれを「ヒトデ型」と呼ぶ。

ヒトデには頭部がない。一つのヒトデを二つに割ると、二つのヒトデになるー。不気味。適切ではあるが、気持ち悪い比喩のため、この言い方は広まっていないのか…。

分権型の組織の例。ナップスター、カザー、スカイプ、クレイグズリストなど、アメリカでおこったP2Pのインターネットビジネス。スペイン軍と戦ったアパッチ族や、奴隷解放運動のクエーカー教徒、アルカイダ。その他、NPO組織など。例はあまり新鮮でなくても、分析が深くて応用が可能なのが、この本の価値だと思う。

*分権型組織をたたくとますます分散して、手に負えなくなる。(ex:ナップスターからはじまった音楽ファイルのやりとり)
*リーダーをやっつけても、新しいリーダーが出てくるだけで、あまり効果がない。(ex:アパッチ族)
*リーダーは、人々を結びつける触媒的役割をはたすが、権力を集中させすぎる前に組織を離れる。
*分権型組織ではヒエラルキーではなくて信頼が人々をつなぐ。
*このような組織では、ヒエラルキーのある従来型のクモ型組織のようには利益を生み出すことができないので、少人数で大多数の顧客を持つのが理想。(ex:クレイグズリスト)
*ヒトデ型の組織は、クレイジーなアイディアを育むのに向いている。
*クモ型組織の人がヒトデ型の組織を見ると、どうしてもクモ型に見てしまうため、さまざまな誤解が生まれる。(ex:「インターネットのリーダーは誰か?」という九十年代の問い)

などなど。

ツイッター経由でインスパイアされつつ、「こうじゃないかな?」「そうなるんじゃないかな?」と思ってあいまいにしていたことを、地味に言い切ってくれる本でしたので、興味を持たれる方もいらっしゃるのではないかと思って。

タグ的流行通信(前回の補足として)

「タグ的生き方」でファッションを考えてみた。ずれてないんじゃないだろうか。服を選んで着るのに、「森」であり、「モード」であるが、「ロリ」は絶対にやらない、とか。「カジュアル」と「セクシー」はあっても、「エレガンス」はない、とか。女の子の、一見わがままな選択なようだけれど、自分にタグづけるようにファッションを選んでいるのなら、ブランドやデザイナー、雑誌などはそのどこかに分類されるだけで、「ライフスタイルのリーダー」「生きる指針」となることはもう望まれていない。(じゃあそこのところはどうなるのか、という問題はやっぱり難しいのだが)。逆に、タグづけによってカスタマイズされて配信されるスタイル雑誌なんか、あるといいのかもしれないですね、この先。(NC#64)

2011年5月23日月曜日

タグ的生き方について

Evernote、好きです。あとで読むリンクとか、目を引いた記事、また読みたいツイートをコピペして保存してます。「外付け脳」とも言われているサービスだけど、重い物は入れないようにしていて、さくさくっとメモ用紙みたいな使い方で、でも整理できるからあとで本当に読むし。震災以来、タグ「原発」とか妙に充実してきてて、資料集みたいになってて、原発派のも反原発派のも、気になるのはそこにあって、どっちがどうなのかたどってみたり。リンクでも記事のコピペでも制限なくさくさく保管していけばいいのだけど、とりわけひとつの記事にいくつもタグがつけられることに、感動してる。iPhoneアプリの記事だったら「ネット」「便利」とか。VJの記事だったら「映像」「音楽」「クリエイティブ」とか。どこに書けばいいのか、どのフォルダに放り込めばいいか無理して決める必要がないやさしさそして合理性。インターネットの恩恵に2011年、浴している。あらためて。

ああでもあり、こうでもある—「タグ」という情報管理のあり方はデジタルじゃないと不可能だ。東浩紀氏によると、20世紀まで情報管理はツリー型でしかなされなかった。「ツリー型」とは、頂点から分類され果てしなく枝分かれしていく近代的なモデルで、図書館の分類番号がそうだし、学校や企業などの組織も確かにそういうあり方をしている。情報が物理的なカードのようなものである場合、間違いなくたどるために合理的な形なのだろう。それに対してデジタルが可能にした「タグ」の情報管理は、くくりの並列性をとおして「あたらしい、もう一つの秩序」を現出させていると東さんはおっしゃる。これは難しいテーマだけど、一段上、そのまた上に統合される可能性を感じつつ存在する必要がなくなると、視野も世界観も根本から変わるし変えざるを得ない。個人もまた、周囲によって細分化された属性でタグ付けされるが、どんなタグが自分に付いているかすべて把握できるのは本人だけで、でもそういう興味さえ価値を失っていくかもしれない。19世紀的自我の完全な終わりのはじまり。マーケティングにもかかわるこんな分裂症的な意識のこと、考えてみる価値はありそうだ。

(東浩紀さんの某大学での講義を受けて)

2011年3月25日金曜日

四十年後の世界にわたしたちはいる —福島第一原発のこと—

パチン…OFF

村上春樹の古い小説にあったくだりだ。こんな風だったら良かったのに。

スイッチを切れば機能は死ぬ。きわめてアナクロな感覚だけれど、みんなそれを望んでいた。原発の話です。なのに、今回はずいぶんと手こずっているみたい。水を注いで冷やし続ける、その作業はこの先何年も必要になるという。「停止した」ということと、「もう目を離していい」ということが別で、ちゃんと終わらせるまでのプロセスが原発に必要なことを、恥ずかしながら今回はじめて知った。

「停止後冷やさなければいけない」のは、原子炉のしくみがそうなのであり、事故が起きたせいではない。ふだんから、コンロの火はとっくに消えていても、お釜は熱いままで動かせない。完全に冷ますまでの時間はすごく長いらしいということは、今回のことからも推測できる。じゃあ、地震も津波もなく、無事に寿命を終えて使い切った原子炉はどうなっているの。調べてみるとNHKが2009年に放送した番組の情報に行き当たった。「原発解体」。取材されたのは「ふげん」と「東海発電所」の解体。それは「はい、ばらばらにして処理場へ」という単純な作業では全くない。遠隔操作のロボットで施設を解体する技術はまだ完全ではなく、放射性廃棄物の処理もままならない。営業運転を終えてしまえば、その後は何も生まないまま、少なくとも十年以上「でん」とそこにあるだけ。燃料は「あち、あち」と両手の平に渡さなくてはいけないし、もちろん作業員さんたちも被爆させずにはおかない。原発の日常が言ってみればアウトオブコントロール。今回はそれが大規模でよりやっかいになったため、白日のもとにさらされているというだけだ。

福島第一原発の一号機はなんと三九歳。マンションだと、配管は錆び壁にひびが入って、よほどのことがないと住みたくないレベルだ。近所のプールなど築二十年ほどで取り壊しになり、いまプール難民のわたしは「まだぜんぜん泳げたのにもったいない」とさえ思うのだけれど、なぜこんな要所でこんなに古いものを使っているのか。この国の常識(ノリ)に合わないが、答えはひとつ。「壊すに壊せない」からだ。テレビにちらりと映ったコントロール室はまさに時代の遺物で、レバーとかがついてドラえもん風のデザインだし、インタフェースのかおりがしない。システムそのものも旧式なのだろう。こんな「老朽化して、最初に危惧されていたよりもさらに危険になっているのに、かといってすぐに壊すこともできないもの」が国土の隅々に乗っかっている。

最小限のリスクとコストで最大のエネルギーを得る方法、それはきっと原子力発電ではない。そうですよね?

夜、暗い街も悪くない。寝付きはかえって良くなった。今回の「計画停電」に怒り出す人がいないのは感動的で、この忍耐強い資質を武器に、いま生み出せているものを最大限有効に使っていけば、なんとか大停電時代を乗り切れるかもしれない。四十年前に比べて飛躍的に進歩したのは、廃棄物を宇宙に捨てにいく技術ではなくて、情報技術。オバマのグリーンニューディールでも推進されたスマートグリッドは、電力を生むのではなく、それを「使うための技術」だ。電力の需給のデータを取り、インターネットを駆使してそれらを細かく自動調整する。反対運動の心配も過度のCO2排出の懸念もなく、これひとつからはじめられる。できるだけコストとリスクの少ない方法を選んで発電し、生んだ電力はあますことなく使い切る。技術はそういうことを可能にしようとしている。

四十年後の世界にわたしたちはいる。

2011年3月4日金曜日

希望は彼らにはかくもはかない。 —「進撃の巨人」レビュー—

どこからともなくあらわれ、手当たり次第に人類を喰らう醜い巨人。人類に戦う術はなく、円形の壁の中の限られた領域へと引きこもるのみ。その壁を破壊することができる超大型五十メートル級の巨人が現れたとき、物語は動き出す。

「進撃の巨人」で描かれるのはただ巨人に喰われるのを待つだけの絶望的な状況だ。生きのびるために戦おうとする主人公エレンたちの必死さをあざ笑うかのように、巨人は醜い。裂けた口、よどんだ目、鈍い動き、低い知能。人間を食べるのだって別にお腹が空いているのではない。ただもてあそんでいるかのようなのだ。

作者の諌山創は弱冠19歳でこの作品を企画したのだという。「絵がどうも」という向きもあるようだが、その画はときに異様な力でわたしたちをはっとさせる。「人類の反撃はこれからだー」。仲間との結束を確認する高揚のときにあらわれる、50メートル級の雲のような巨人の図(第一巻後半)。巨人と同化した主人公エレンに戦力となることを期待しているとき、彼=巨人が見せる低脳で無目的な破壊行為(三巻後半)。希望と絶望が同時に頂点に達するこれらの見開きは現代を象徴するすぐれた絵画となっている。それは突然あらわれてすべてを打ち砕く。希望は彼らにはかくもはかない。

主人公のエレンたちには巨人と戦うための訓練がほどこされる。三次元での移動が可能となる「立体機動」など基礎的なものは実戦に必須だが、訓練は問題の根本的な解決にはつながらないと若者たちは勘づいている。敵である巨人についての情報は慢性的に不足しており、上官たちにはそれを得ようとする熱意がないが、外の世界を見たいという情熱はそれそのものがタブーになっている。「守る」という建前で内と外とのズレを隠蔽している、人類が自ら築いた巨大な壁。クリアなイメージがわたしたちの日常を想起させる。ル=グウィンの言うように、ファンタジーは独自のルールを築いて真実にいたるのだ。

こんな夢を見させる社会は最悪。

2011年3月1日火曜日

Utapedia 

ウタペディアは小説「歌骨」の事典です。小説「歌骨」と合わせてご利用ください。※項目は編纂中です。


うたぼね【うたぼね】
プログラムに反応するプランクトンの遺伝子と分解可能なシリコンからなる。プログラムは組み換えられる設定になっているがカスタマイズも可能。作成キットは広く入手可能。白くて軟らかく、海の生き物のような反応を見せる。周囲の状況からアルゴリズムを自動的に作成して音を奏でる。この音は「うた」と言われていて、音色も音域も幅広い。平均して数ヶ月で硬くなり、最後は骨になってしまう。 

うたぼねのケース【うたぼねのけーす】
キャンバス地から本革の高価なものまで存在する。これの作成を趣味とする人も多く、コミュニティでさかんに売買されている。

コミュニティ【こみゅにてぃ】
「革命によって作られた理想郷」に暮らす人々の集まり。ネットワークのインフラが完備されている。暮らしは平和そのものだが、活気はあまりない。職業や住居などは原則として割り振られている。規模は大きくないらしい。歴史には秘密が多いが、探求しようとする者は少ない。数年前からうたぼねが流行している。

デュプリケイト【でゅぷりけいと】
特定の人物の複製(コピー)。外見や能力などは必ずしも本人に似ておらず、劣化していることが多い。非常に高価なためごく一部の層にしか普及していない。一般的に本人の身代わりとして使われる。略称「デュプ」。

なりしらず【なりしらず】
まだ一度もうたったことのないバージンのうたぼねのこと。交換するときはとくにこれをやりとりすることになっている。くせのなさが魅力で、反応もいい。

ほねつながり【ほねつながり】
うたぼねを交換した者同士が結ぶ特殊なつながり。いちどこの関係になると「よろこびも悲しみもすべて分かち合う」ほどの親密さが生まれる。

ほねよみ【ほねよみ】
うたぼねのうたを言葉で表現することを趣味とする人々。たくさんの流派があり、さらに細かく派閥に分かれて活動している。お互いの表現を批評し合うことも活動の一環となっているため、会合でのやりとりが過激になることも多い。

2011年2月22日火曜日

「歌骨」はどのようにして小説になったか ー小説「歌骨」出版のおしらせー

ある冬の晩、白くてやわらかくてふしぎな音の鳴るものが手の中にあるような気がしました。なんだろう、と考えているうちに思い浮かんだ言葉が「歌骨」です。この言葉をたよりにして十パラグラフほど一気に書きました。その組成、異世界のコミュニティでの受け入れられ方、交換の掟などです。このとき書いた部分は完成版にもかなり残されています。

それから、このふしぎな道具にふさわしい物語を見つける意識の旅がはじまりました。物語を見つけるのは地下の水脈を探るのに似ています。まちがった方向を選ぶと、すぐに行き当たってしまいます。物語が真に求めるラストまで行き着くことのできる水脈を見つけるには、精神の地層を注意深く探らなくてはいけません。理不尽なほど時間のかかる作業です。書いては書き直し、もだえながらすすみました。童話のようなSFのような不思議な世界が陰影を持ちはじめました。

小説「歌骨」はそのようにしてこの世に形をとることができた物語です。みなさんに異世界の旅をお楽しみいただけましたら幸いです。

2011年2月22日 立華ノリ美


「歌骨」のダウンロードはこちらから(試し読みもできます)
http://p.booklog.jp/book/21060
定価300円

2011年2月20日日曜日

僕が小説を書く理由

滅びゆく枠組とまだかたちを取れずにいるあらたな可能性のはざまで選択をせまられたのがわたしたちの世代でした。わたしのたどりついた答えはこういうものでした。「小説を書こう」

かつて文学は、時代の最先端を情熱的に生きようとするひとたちのためのものでした。今はどうでしょうか。形式化し類型化し、自らをその死にむけて追いやっているかのようです。

冷戦の終結、文化の成熟、情報化時代のはじまり。定式化された答えが無効になるなか、文学はやりつくされてその役割を終えたのだとささやかれるようになりました。本当にそうでしょうか。変革の波がおしよせている現在、真剣に取りくむべきテーマは本来ならいくらでも転がっているはずです。

テクノロジーの進化はめざましく、いまを生きる人々の感性や感覚を日々発達させています。その輝きをとらえる言葉を生み出す仕事は刺激的なものとなるに違いありません。

知識も認識も流動的になっている時代です。あたらしい物語をつむぐことは、あるいは砂の上に楼閣を築こうとする試みなのかもしれません。けれどもわたしはそれを見たい。これはひとつの戦いです。かつて放棄されてしまった仕事、積み上げること、そして先へとつなげることへの挑戦なのです。悲観的な空気にさらされながらも、真に生きようとする同志たちとその成果を分かちあうことのできる未来を夢みてやみません。

2011年2月9日水曜日

映画「ソーシャル・ネットワーク」レビュー:フェイスブックを作ったのは誰?

アイディアは彼のものではなかった。

「ハーバードコネクション」。いやらしさ全開のSNSサイトを思いついた名家の兄弟がギークのザッカーバーグを呼び出す。「おまえ作れ」。ザッカーバーグはピンときたようだ。言われたようなものをプログラミングしているうちにもっとスマートな着地点を見いだす。いける。そしてできあがったサイトを自分のものとしてローンチする。「ザ・フェイスブック」。

実装できたのは彼だけだった。兄弟との連絡を絶ち、サイトを自分のものにしてしまったザッカーバーグのこと、わたしは好きだ。

フェイスブックはみんなに行きわたるように作られたプロダクトだ。でも工場で作られるわけではない。こういうことは歴史上初めてで、この変化に組織も法律も追いつけずにいるようだ。

アイディアかプロダクトか。それともプロダクトそのものがアイディアなのか。いずれにしろ早く作ってリリースした方の勝ち。これがわたしたちの生きる時代。

実装できないわたしはちょっぴり複雑である。

2011年2月1日火曜日

情報量はメッセージである—Wikileaksによせて—



「誰によって書かれたのかはっきりしない書類でした。扱いが難しく、ただし書きをつけての公開でしたが、なんとむこう側からたずねてきたんです、これがどこから手に入ったのかって」
アサンジは欲しがらない。最後まで判断をひかえて待つ。

何が出てくるか分からないまま待つとは、ストーリーに仕立てるのをひかえて事実そのものに向き合おうとすることだ。明るみに出る情報が多ければ多いほど、善悪をはかるスケールもよりダイナミックに繊細になってゆく。

情報量はメッセージだ。空気のように無限の情報はわたしたちに伝える。「何もかもが起こりうるのだし、罪は人間の都合で判じられるにすぎない」

(TED Talks より)