2011年3月25日金曜日

四十年後の世界にわたしたちはいる —福島第一原発のこと—

パチン…OFF

村上春樹の古い小説にあったくだりだ。こんな風だったら良かったのに。

スイッチを切れば機能は死ぬ。きわめてアナクロな感覚だけれど、みんなそれを望んでいた。原発の話です。なのに、今回はずいぶんと手こずっているみたい。水を注いで冷やし続ける、その作業はこの先何年も必要になるという。「停止した」ということと、「もう目を離していい」ということが別で、ちゃんと終わらせるまでのプロセスが原発に必要なことを、恥ずかしながら今回はじめて知った。

「停止後冷やさなければいけない」のは、原子炉のしくみがそうなのであり、事故が起きたせいではない。ふだんから、コンロの火はとっくに消えていても、お釜は熱いままで動かせない。完全に冷ますまでの時間はすごく長いらしいということは、今回のことからも推測できる。じゃあ、地震も津波もなく、無事に寿命を終えて使い切った原子炉はどうなっているの。調べてみるとNHKが2009年に放送した番組の情報に行き当たった。「原発解体」。取材されたのは「ふげん」と「東海発電所」の解体。それは「はい、ばらばらにして処理場へ」という単純な作業では全くない。遠隔操作のロボットで施設を解体する技術はまだ完全ではなく、放射性廃棄物の処理もままならない。営業運転を終えてしまえば、その後は何も生まないまま、少なくとも十年以上「でん」とそこにあるだけ。燃料は「あち、あち」と両手の平に渡さなくてはいけないし、もちろん作業員さんたちも被爆させずにはおかない。原発の日常が言ってみればアウトオブコントロール。今回はそれが大規模でよりやっかいになったため、白日のもとにさらされているというだけだ。

福島第一原発の一号機はなんと三九歳。マンションだと、配管は錆び壁にひびが入って、よほどのことがないと住みたくないレベルだ。近所のプールなど築二十年ほどで取り壊しになり、いまプール難民のわたしは「まだぜんぜん泳げたのにもったいない」とさえ思うのだけれど、なぜこんな要所でこんなに古いものを使っているのか。この国の常識(ノリ)に合わないが、答えはひとつ。「壊すに壊せない」からだ。テレビにちらりと映ったコントロール室はまさに時代の遺物で、レバーとかがついてドラえもん風のデザインだし、インタフェースのかおりがしない。システムそのものも旧式なのだろう。こんな「老朽化して、最初に危惧されていたよりもさらに危険になっているのに、かといってすぐに壊すこともできないもの」が国土の隅々に乗っかっている。

最小限のリスクとコストで最大のエネルギーを得る方法、それはきっと原子力発電ではない。そうですよね?

夜、暗い街も悪くない。寝付きはかえって良くなった。今回の「計画停電」に怒り出す人がいないのは感動的で、この忍耐強い資質を武器に、いま生み出せているものを最大限有効に使っていけば、なんとか大停電時代を乗り切れるかもしれない。四十年前に比べて飛躍的に進歩したのは、廃棄物を宇宙に捨てにいく技術ではなくて、情報技術。オバマのグリーンニューディールでも推進されたスマートグリッドは、電力を生むのではなく、それを「使うための技術」だ。電力の需給のデータを取り、インターネットを駆使してそれらを細かく自動調整する。反対運動の心配も過度のCO2排出の懸念もなく、これひとつからはじめられる。できるだけコストとリスクの少ない方法を選んで発電し、生んだ電力はあますことなく使い切る。技術はそういうことを可能にしようとしている。

四十年後の世界にわたしたちはいる。