2011年3月4日金曜日

希望は彼らにはかくもはかない。 —「進撃の巨人」レビュー—

どこからともなくあらわれ、手当たり次第に人類を喰らう醜い巨人。人類に戦う術はなく、円形の壁の中の限られた領域へと引きこもるのみ。その壁を破壊することができる超大型五十メートル級の巨人が現れたとき、物語は動き出す。

「進撃の巨人」で描かれるのはただ巨人に喰われるのを待つだけの絶望的な状況だ。生きのびるために戦おうとする主人公エレンたちの必死さをあざ笑うかのように、巨人は醜い。裂けた口、よどんだ目、鈍い動き、低い知能。人間を食べるのだって別にお腹が空いているのではない。ただもてあそんでいるかのようなのだ。

作者の諌山創は弱冠19歳でこの作品を企画したのだという。「絵がどうも」という向きもあるようだが、その画はときに異様な力でわたしたちをはっとさせる。「人類の反撃はこれからだー」。仲間との結束を確認する高揚のときにあらわれる、50メートル級の雲のような巨人の図(第一巻後半)。巨人と同化した主人公エレンに戦力となることを期待しているとき、彼=巨人が見せる低脳で無目的な破壊行為(三巻後半)。希望と絶望が同時に頂点に達するこれらの見開きは現代を象徴するすぐれた絵画となっている。それは突然あらわれてすべてを打ち砕く。希望は彼らにはかくもはかない。

主人公のエレンたちには巨人と戦うための訓練がほどこされる。三次元での移動が可能となる「立体機動」など基礎的なものは実戦に必須だが、訓練は問題の根本的な解決にはつながらないと若者たちは勘づいている。敵である巨人についての情報は慢性的に不足しており、上官たちにはそれを得ようとする熱意がないが、外の世界を見たいという情熱はそれそのものがタブーになっている。「守る」という建前で内と外とのズレを隠蔽している、人類が自ら築いた巨大な壁。クリアなイメージがわたしたちの日常を想起させる。ル=グウィンの言うように、ファンタジーは独自のルールを築いて真実にいたるのだ。

こんな夢を見させる社会は最悪。