2011年2月20日日曜日

僕が小説を書く理由

滅びゆく枠組とまだかたちを取れずにいるあらたな可能性のはざまで選択をせまられたのがわたしたちの世代でした。わたしのたどりついた答えはこういうものでした。「小説を書こう」

かつて文学は、時代の最先端を情熱的に生きようとするひとたちのためのものでした。今はどうでしょうか。形式化し類型化し、自らをその死にむけて追いやっているかのようです。

冷戦の終結、文化の成熟、情報化時代のはじまり。定式化された答えが無効になるなか、文学はやりつくされてその役割を終えたのだとささやかれるようになりました。本当にそうでしょうか。変革の波がおしよせている現在、真剣に取りくむべきテーマは本来ならいくらでも転がっているはずです。

テクノロジーの進化はめざましく、いまを生きる人々の感性や感覚を日々発達させています。その輝きをとらえる言葉を生み出す仕事は刺激的なものとなるに違いありません。

知識も認識も流動的になっている時代です。あたらしい物語をつむぐことは、あるいは砂の上に楼閣を築こうとする試みなのかもしれません。けれどもわたしはそれを見たい。これはひとつの戦いです。かつて放棄されてしまった仕事、積み上げること、そして先へとつなげることへの挑戦なのです。悲観的な空気にさらされながらも、真に生きようとする同志たちとその成果を分かちあうことのできる未来を夢みてやみません。